〜モノを大切にするかたち〜
日本に残る蔵を訪ねて
「明治時代、大火の後に造られた蔵の街並み、川越に行こう」
埼玉県川越市には蔵造りの建物が並ぶ通りがあります。日本で蔵は大事なモノを収納しておく倉庫として、あるいは住む家としても使われてきましたが、川越市の蔵のほとんどは「店蔵」と呼ばれる店舗として建てられたものです。しかも蔵の多くは明治時代の川越の大火の後に防火用の建物として建てられたものです。そんな歴史を持つ川越にある蔵を訪ねて、この地の蔵造りの特徴を調べてきました。
約400メートルの通りに蔵造りの店が立ち並ぶ
「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と江戸時代から謳われてきたのが埼玉県の川越市です。“小江戸”とは、「江戸のように栄えた町」という意味で、この地方で収穫された農産物を船で江戸に運んだことから、逆に川越には江戸文化が入ってきて、町自体が繁栄したそうです。
そもそも川越は武蔵野台地の東北端、都心から30km圏に位置する町で、蔵造りの古い建物が並ぶ一番街エリアは、江戸時代を偲ばせる蔵造りの建物が多く建ち並び、多くの観光客が訪れている埼玉屈指の観光地です。まとめて蔵造りの建物を見物したい、あるいは蔵のある生活を体験したいと思う方は、ぜひ川越に行くといいでしょう。
蔵造りの商家が並ぶ一番街エリアは、川越城本丸御殿近く、札の辻から仲町交差点までの約400メートル区間。その通りの中程にあるのが小江戸川越のシンボルといえる「時の鐘」です。約400年前に当時の川越藩主であった酒井忠勝が建てたもので、庶民に時を知らせる目的に設置されました。
度重なる火災で焼失、何度も建て替えられましたが、現在の鐘は明治時代に再建された4代目です。建物自体は江戸時代のまま、現在は鐘つき守りから機械仕掛けとなり、1日4回、鐘の音をこの町に鳴らしています。
この「時の鐘」の北側と南側の通りに黒漆喰の壁に大きな鬼瓦を特徴とする重厚な蔵造りの街並みが続きます。実は川越の蔵造りの大きな特徴は、倉庫として蔵を使っていたのではなく、店舗を蔵造りにした「店蔵(見世蔵/みせぐら)」にあると言われます。商家の顔である店舗を蔵造りにすることで周辺からの類焼を防ぎ、敷地内への飛び火を防ぐ建物として蔵造りにしたというわけです。
明治の大火を契機に、町ぐるみで蔵造りの店舗を建設した
いまでも日本各地で蔵を見ることができますが、江戸時代の享保年間に時の幕府が防火建築として土蔵造り、塗家造りを推奨して各地に蔵がつくられました。
川越で蔵造りの店舗が生まれるのは、明治26年(1893年)の大火を契機にしてのことです。実はそれ以前の明治21年にも川越は大火に見舞われますが、この2つの大火でもびくともしなかった店舗がこの町にあり、それが蔵造りであったため、それを見倣って多くの商家が店舗を蔵造りにしたそうです。
現在川越にある蔵造りの店舗は、明治26年の大火後、3年ほどの間に建てられた建物が多いと聞きました。
川越にある蔵造りの特徴は、防火という本来の目的に加え、蔵自体に装飾的な要素を兼ねた工夫が各所に施されることにあります。
代表的な蔵の要素を見ていきましょう
屋根瓦の最上部に壁のようにそそり立つ
「箱棟(はこむね)」
箱棟の両端に配されるのは
「鬼瓦」
厨子の扉を模した両開きの「観音開扉」
蔵には欠かせない「折釘」と「ツブ」
装飾性に富んだ「うだつ」
川越エリアで最古の蔵造りは「大沢家住宅」です。近江屋半右衛門が寛政4年に店舗として建造し、幾度の大火を逃れ、現在では国指定の重要文化財に指定されています。
また有形文化財の「原家住宅」は、川越大火直後の明治26年に当時呉服店を営んでいた山本平兵衛が建てた蔵で、現在は「陶舗やまわ」が店を構えています。そして仲町の交差点近くに店を構えるのが天明3年創業の老舗菓子店「龜屋」。この建物は明治27年、5代目の山崎嘉七が建物で、いつも観光客で賑わっている名店です。
次回は川越の蔵造りの建物のなかから、この「龜屋」にスポットを当てて、川越の蔵造りの建物の詳しいリポートを送ります。
川越までのアクセス
車でのアクセス
練馬ICから川越ICまで約30分。その後国道16号で川越市街へ。
八王子JCTから鶴ヶ島JCT経由で川越ICまで約70分。その後国道16号で川越市街へ。
電車でのアクセス
池袋駅から東武東上線で川越駅まで約30分。
大宮駅からJR川越線で川越駅まで約25分。
西武新宿駅から西武新宿線で本川越駅まで約60分。
取材・文/小暮昌弘
撮影/稲田美嗣